悟りの証明

残日録

2018-01-01から1年間の記事一覧

訪問者

就寝前にトイレに入ったら、便座に何やらゴミが付いていたので、取り払おうとよく見たら、1,5cm程の小さな小さな雨蛙が便座に鎮座していました。互いの目と目が合って、互いにビックリしました。夜中に何処からやってきたのか全く不思議ですが、驚きとうれし…

悟りの証明(69)

一僧「如何なるかこれ祖師西来意」 趙州「庭前の柏樹子」 一僧「境をもって示すことなかれ」 趙州「吾、境をもって示さず」 一僧「如何なるか是れ祖師西来意」 趙州「庭前の柏樹子」 「如何なるかこれ祖師西来意」という問いは、仏教とは、仏とは、悟りとは…

悟りの証明(68)

「善人なおもて往生を遂ぐいわんや悪人をや」 仏教を理解することの難しさは、今日に於いても尚、親鸞の上記・『悪人正機説』の正しい解釈がなされていないということを見れば明らかです。 因みに、吉本隆明は親鸞に関する数冊の本を出版していますが、内容は…

悟りの証明(67)

慧能「甚麼の処より来たる。」(何処から来た) 懐譲「崇山より来たる。」(崇山から来ました) 慧能「甚麼物か恁麼に来たる」(一体何がそのように来たのか) 懐譲は、慧能のこの問に対し、即答できず、八年間の修行の末に「百尺竿頭進一歩」となり、次のよ…

悟りの証明(66)

『百尺竿頭進一歩』〔百尺竿頭に一歩を進む) これは長沙景岑〔唐代の禅僧)の次の偈に由来します。 「百尺竿頭不動人、雖然得入未為真。百尺竿頭須進歩、十方世界是全身。」 〔百尺竿頭不動の人、然も得入すると雖も未だ真となさず。百尺竿頭すべからく歩を…

悟りの証明(65)

日曜日の誰もいない小学校で、一人で桜の花に見とれていると、「花に囲まれてお幸せですね!」という声が聞こえてきた。振り返ると、手押し車で通りがかった老婆が微笑んでいた。暫くの間、花と老婆と私は「相即相入」して「事事無礙の世界」に溶け込んだ。…

悟りの証明(64)

次の『伝法偈』は禅意を尽くした偈(詩句)と言われています。従って、この偈を正しく理解できれば、既に「覚者」と言うことになります。 心随万境転 心は万境に随うて転ず。 転処実能幽 転処実に能く幽なり。 随流認得性 流れに随うて性を認得すれば、 無喜…

悟りの証明(63)

西部邁氏が逝ってしまいました! 自殺ということのようです。 西部氏の自殺の原因は、「みずからの慣習法(広義の)をなくしてしまった戦後の日本に対する絶望」という見方もあるようですが、氏の自殺という「事実」は氏本人すらもわからなかったのではない…

悟りの証明(62)

「三昧」には私たちの意識の秘密が隠されていますが、三昧の意識(一次的意識)と私たちの普通の意識(二次的意識)とを判然としておく必要があります。意識とは、何物かを「知る意識」で「認識」と同義と考えられます。認識を大別すると次のようになります…

悟りの証明(61)

私たちは誰でも、私たちの外側に世界が広がっていて、私たちが死んでもその世界はそのまま残っていると思い込んでいるようですが、果たしてそうでしょうか。一般に、世界と言えば次の三つが考えられます。 1、感じられた世界(感官の対象界) 我々が見るも…

悟りの証明(60)

「善人なほもて往生をとぐ,いはんや悪人をや」(『悪人正機説』) 「橋は流れて水は流れず」 「東山水上行」 仏教のこのような主張には、私たちの「三昧の反省」「現在意識の反省」を前提とした論理そのものを否定し、仏教の論理である『即非の論理』に導こ…

悟りの証明(59)

「鳴らぬ前の鐘の音を聞け」 「隻手の音声を聞け」 「父母未生以前の面目は如何」 これからしばらく禅の「公案」について考えてみたいと思います。「公案」は悟りを得た者(覚者)であれば簡単に解けますが、そうでない場合は全く意味不明で、分別(思量=考え…