悟りの証明

残日録

悟りの証明(137)

624日、宮内庁長官は定例会見で「天皇陛下東京五輪の開催が感染拡大に繋がらないか懸念されていると拝察する」と述べました。

 

この件について、天皇の政治利用とか、象徴天皇制を揺るがす発言であるといった、長官に対する批難の声が挙がっています。批難は当然ですが、ただ、そのポイントがズレているところが気になります。この問題は、はからずも、天皇制の根本に関わる問題を露呈しているのです。

 

天皇陛下の最大のお仕事は「国家·国民の安寧を祈る」という「祈り」です。祈りは「無分別の世界」であり、「信の世界」であり、言葉·概念·思惟·論理といったものを超越したろころにあるものです。祈りを使命とする天皇陛下の存在理由は「言挙げせぬ」「不立文字」の処にあるのです。このことが真に理解されていれば、天皇陛下のお気持ちを代弁したり忖度することは決して許されないし、出来ないはずなのです。私たち国民は「分別の世界」の住人ですが、陛下は「分別の世界の住人でありながら無分別の世界の住人」でなければならないのです。仏教を招来した聖徳太子の「世間虚仮、唯仏是真」の真意を理解しなければならないのです。天皇は神ではありませんが「覚者」であることが要求されるのです。今生天皇は「祈りの意味」を知らずして祈っていますが、「祈りの意味を知って祈る」ことが要請されるのです。

 

歴史を見れば、明治時代の「廃仏毀釈」は「仏造って魂いれず」ではなく「天皇造って仏を入れず」で、天皇制そのものの存在理由をみずから捨ててしまったのです。

 

廃仏毀釈」という愚挙さえなかったら、先の戦争は回避できたはずですし、これからも揺るぎない天皇制を享受することができる筈なのです。今回のような「忖度発言」や「代弁」などというものが出てくるはずはないのです。