悟りの証明

残日録

悟りの証明(138)

1980年代末期から1990年代中期にかけてはオウム真理教が起こした一連の事件があり、今また統一教会問題が世間を騒がしています。宗教が個人の人生を狂わせるだけではなく、一国の政治まで汚染するという事件が現在進行中なのです。今ほど宗教に対する正しい対処が求められている時はありません。

 

オウム事件では、稀代のペテン師麻原彰晃は頭脳明晰な若い信者を騙しただけではなく、当時の所謂知識人吉本隆明中沢新一島田裕巳荒俣宏栗本慎一郎坂本龍一糸井重里ビートたけしその他、芸術家、宗教家、芸能人、等々を見事に手玉に取ったのです。

 

今でもYouTubeで見るっことが出来る「吉本隆明の183講演」というものがあります。この講演3に「善悪の問題」という項目があります。少々長文になりますが、「反面教師」として参考になります。

 

「 それから、もうひとつは、〈善悪〉ってことがあるわけですけど、〈善悪〉っていう問題では、悪っていうものは、ようは恐れることはないんだっていうのが、やっぱり、他力っていうものを絶対化する場合の非常に大きな根拠のひとつになります。
 どうして、人間がやる悪なんていうのは大したことないんだっていうふうに言えるかというと、それは、浄土系の特徴ですけど、『大無量寿経』のなかにあるわけですけど、阿弥陀っていうのが四十八の願をかけるわけですけど、つまり、阿弥陀仏っていうものが、絶対救済する理由っていうのは、どんなやつでも、つまり、下品下生のやつでもぜんぶ救済するっていうような…悪っていうものが浄土への救済を妨げることはないんだっていうような、それが大きな、親鸞の考え方を絶対化する考え方です。大きな特徴であり、それはいろいろな言い方をしています。例えば、「善人なほもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」っていう、いわば普通だったらば、悪人だって救われるんだから、善人はなおさら救われるものだっていうところなんですけど、それは、まったく逆転していまして、善人さえ救われるんだと、だから悪人のほうがなおさら救われるんだっていうような言い方でいっています。それからまた、悪なんていうのは恐れることはないんだ、それは、弥陀の本願にくらべれば、どうせ人間の悪なんていうのはたいしたことない、相対的なものにすぎないのだから、そんなものは全部、救済して浄土に突っ込んでしまうっていいますか、それだけの強さっていうのがあるんだと、だから、人間の悪なんていうのは問題にならない。悪が救われないなんていうことは、絶対にありえない。むしろ、悪っていうことのほうが絶対他力、つまり他力っていうもの、救済において他力っていうものに頼る契機っていうのは、悪、あるいは、悪人のほうが遠いだけ多いはずだから、悪人のほうがいいんだと、つまり、悪人のほうが正機なのであって、悪人のほうが救われ、救済される大きな契機っていうものをもっているんだっていう、そういう考え方が、やはり非常に大きな特徴だっていうふうに考えられます。」

 

さらに、「(前略)オウム・サリン事件で僕なりにいろんなことを考えました。親鸞が「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」といっているのは一種の逆説で、逆説のほうが通りやすいといいますか、持続しやすいということがあって、どんどん突き進んでいったというふうに僕は考えてきていました。ところが、親鸞はもしかすると、いまのオウム・サリン事件みたいな問題に現実に直面して、これを肯定していいんだろうか、よくないんだろうか、と本気になって考えさせられたあげくに、「造悪」、悪を進んで造る「極悪深重の輩」を自分の「善悪」観のなかに包括できるという確信を持てるようになるまで考え抜いて、それで「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」ということをいったんだ、と僕は考えてみました。(後略)」

 

これはオウム真理教統一協会を擁護する全く恐ろしい悪魔の思想としか言いようがありません。マルクス主義という西洋の思想に汚染された吉本(吉本自身はマルクス主義を卒業したと言っていますが)の限界がまさにここにあります。考えるということを客観的に考えられなかった「主体なき理性」の吉本の実像がここにあります。悪人正機説つまり「善人なほもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」というテーゼをいかに解釈するかということが根本的な問題なのですが、上記のような吉本の解釈は親鸞の息子善鸞と全く同じで、このような解釈が当時浄土真宗存亡の危機を招くっことになりました。親鸞は、上記のように解釈する我が子善鸞を破門することでなんとか危機を乗り越えようとしたのですが、そう簡単には収まる問題ではありませんでした。それでは一体、親鸞自身は悪人正機説なるものをどのような意図で説いたのか、そこが問題になってきますが、親鸞自身はこの説の意図をひとことも言及していません。何故か、言及(説明)すると親鸞の意図に反するからです、「信」には言葉・思考・論理は通用しないのです。信を核心とする浄土真宗の宗旨に反するからです。親鸞の幼少期は神童と言われれる程の聡明な子で、既に九歳のときに修行のため比叡山延暦寺に登山しました。それから二十九歳まで修行を積みましたが悟りを得ることはでいませんでした。延暦寺での二十年間、親鸞延暦寺所蔵の経典を読み尽くし、気が狂うほどに考え尽くしたに相違ありません。しかし、悟ることなく絶望に打ちひしがれて下山することになりました。そして六角堂に籠もり、そこで開悟したと伝えられています。開悟した親鸞は自らを「愚禿」(頭を剃った、おろか者)と自称するようになります。親鸞が自らを「愚禿」と自称出来たということは「悟りの証明」に他なりません。親鸞が二十年の歳月をかけてやったことは何だったのか、言葉の大海に論理という船を浮かべて彷徨った二十年でしかなかった。自分は全く逆の道を歩いて来てしまった。悟りとは言葉(概念・論理的思考)で何かを求めるのではなく、言葉を捨てることであった。悟りを得た親鸞は往相の悟りを得るための修行から、悟りを伝え広める教化の修行、つまり還相の修行に一転することになります。しかし、そこで感じたことは、自らの苦節二十年でやっと達し得た悟りを、日々生きることがやっとである無知文盲の信者たちにどうして伝えられるものなのか。この自問への答は「信」ということでした。信の世界は言葉を駆使した論理的思考が通用しない世界です。親鸞は最晩年に「教行信証」を著していますが、自力宗は「教行証」で、行じることによって悟リを証するというのに対し、親鸞の他力宗は「教行信証」で、信じることで悟りを証することです。親鸞の「善人なほもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」は、単純に、矛盾そのものを表現したもので、解釈を求めているものではなく、反対に解釈を拒んでいるのです。矛盾は説明できないから矛盾なのです「釈尊、四十九年一字不説」なのです。説明するということ、説くということは知の領分ですが、それでは悟りに達することは出来ない。説明できない矛盾をいかに乗り越えるのか、それは「信」以外にあり得ないということなのです。悪人正機説は矛盾そのものを提示し、考えることの限界を自覚させ、信に導いているのです。知で到達できないものは信つまり情意をもって突破する、「百尺竿頭に一歩を進む」というのは竿頭までは知で到達することが出来る、しかし生死をかけた最後の一歩それは知ではなく情意すなわち信ということを親鸞は自らの苦しい経験を通じて知っていたのです。親鸞は長く苦しい知の果に情意「信」を知ったのです。信者に自分が経験したような長く苦しい修行は無理であり、それを強いることは出来ない。ならば、自らが辿った道とは逆の信から入って知へ進めばいい、というのが親鸞の戦略だったのです。信から入ることを理解させるには知の限界を知らしめればいいということで「善人なほもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」という、どのように考えてもわからない難題を提示したのです。

 

戦後思想の巨人ともて囃された吉本隆明の説を取るか、誰に知られることもない名も無いこの私の説を取るか、「信」が問われています。