悟りの証明

残日録

2015-07-01から1ヶ月間の記事一覧

悟りの証明(20)

「この世」の一般的な道徳と仏教の倫理とは根本的に相違しています。 親鸞の「悪人正機説」によれば、「善人なおもて往生をとぐ,いはんや悪人をや」ということになっています。「善人さえも往生出来るのだから、悪人が往生出来ない筈はない」とは逆説にも解…

悟りの証明(19)

上述のように、仏教(悟り)を明らかにする為には、何よりも「三昧」を明確にしなければなりません。その為には、仏道修行の最終段階である「定」と「慧」を明らかにしなければなりません。 先にも述べたように、「定」とは心の最も安定した統一状態であり、…

悟りの証明(18)

覚者の立場 ▼ 梵・・・・・梵我一如・・・・・我 神・・・・・・仏・・・・・・・人 宇宙の原理である「ハタラキ」すなわち神が私たちの「ハタラキ」である「仏」と「神人同性」であるというのが「梵我一如」ということになります。この「ハタラキ」がどのよ…

悟りの証明(17)

仏教では、三昧のことを「定」あるいは「正定」ともいいます。仏道修行とは三学(戒・定・慧)、あるいは六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧=般若)を修することですが、修行の核心は定=正定=禅定と慧=智慧=般若にあり、定と慧は一等(定慧…

悟りの証明(16)

覚者の立場 ▼ 無我・・・・・ハタラキ 無我・・・・・無我即我・・・・・我 一・・・・・・一即多・・・・・・多 梵・・・・・・梵我一如・・・・・我 仏教を理解するためのポイント、悟りを得るための要諦は「意識の現場」「純粋経験」「現在意識」「純粋意…

悟りの証明(15)

以下、悟りの証明(14)のチャートの各項目について詳述します。 覚者の立場 ▼ 無我・・・・・・無我即我・・・・・・我 即非 絶対矛盾的自己同一 「無我」と「我」との関係は「無我即我」すなわち「無我にして我」ということになり、「即非の論理」(鈴木大…

悟りの証明(14)

上来をまとめてみると、次のようになります。 (覚者の立場) ▼ 無我・・・・・・ハタラキ 主観・・・・・・主客未分・・・・・・客観 作用・・・・・・無作の作・・・・・・対象 無我・・・・・・無我即我・・・・・・我 一・・・・・・・一即多・・・・・…

悟りの証明(13)

悟り(13) 私たちの知には、「相対知=分別知」と「絶対知=無分別知=直覚=自知=自己同一知=般若」との二種があります、そして後者が前者に先立って働くという特徴があります。 「父母未生已前のお前の面目は」 「隻手の声を聞け」 「聞かぬ前の鐘の音…

悟り(13)

私たちの知には、「相対知=分別知」と「絶対知=無分別知=直覚=自知=自己同一知=般若」との二種があります、そして後者が前者に先立って働くという特徴があります。 「父母未生已前のお前の面目は」 「隻手の声を聞け」 「聞かぬ前の鐘の音を聞け」 こ…

悟りの証明(12)

「無意識の意識」「無知の知」「無作の作」を把握すること、体験として知ること、体得することが悟りです。決して対象化できない主観を直(直接)に知ることが悟りです。 以上のことから導きだされる重要なポイントは、私たちには「二つの知の作用」「二つの…

悟りの証明(11)

公案は多様ですが、数種に分類することが出来ます。上記とは一味違った公案を紹介します。 師匠と弟子が一緒に散歩をしていました。空を見上げれば、折しも野鴨子が飛んでいました。 師匠「あれは何だ」 弟子「野鴨子です」 師匠「何処に飛んで行くのか」 弟…