悟りの証明

仏教の一隻眼

悟りの証明(3)

仏教の言説は、当然のことながら、「主観の立場」に立っています。しかし私たちのほとんどすべては、無自覚に、「客観の立場」に立っています。私たちは誰でも主観の対語は客観、精神の対語は自然(物質)、心の対語は物と思っています、つまり主観VS客観、精神VS自然、心VS物、という構図で考えています。この思い込みこそが一切の誤りの根源なのです。

 

このことは、あたかも、画家が絵を描いていて、何時しかキャンパスの中に自分自身を描き込み、キャンバスの中の住人になり切ってしまうという倒錯に陥るというようなものです。『般若心経』では「遠離一切顛倒夢想」すなわちキャンバスの世界は自らが描いた「作品」に過ぎないということを見抜き、顛倒した夢想の世界(キャンバス)からきっぱりと離脱しなさい、と説いています。

 

意識の作用(心の働き)すなわち主観は「こちらの土俵」にあり、意識の対象すなわち客観は「あちらの土俵」にあるものです。主観と客観は、その置かれている土俵が違うのです。土俵が違っているにもかかわらず、こちらの土俵にある主観をあちらの土俵にある客観の中に入れ、主観を客観にしてしまって、対立させているということに気がついていないのです。主観と客観は対立するものではなく、一枚の紙の表裏のように切り離すことの出来ないものです。実在としての私を主観側から見れば精神ということになり、客観側から見れば自然(身体)となるだけのことです。(つづく)