悟りの証明

残日録

悟りの証明(109)

「山深く さこそ心の かよふとも すまで哀れは しらんものかは」 西行

 

山深く分け入ったつもりで、どんなに想像をたくましくしても、実際に住んでみなくては、その哀れ(しみじみとした情趣、味わい )を知ることはできない。

 

この歌は西行の歌作りに対する姿勢をよく表現しています。西行歌人である前に仏教の僧侶でした。仏教の究極の教えは「汝、妄想を去り、現実を生きよ」ということに尽きますが、ここで言っている「現実」とは、意識作用と意識対象とが「作用即対象・対象即作用」「色即空・空即色」として表裏一体となった「動的具体的全体」であり、「体験の世界」「実践の世界」「行為の世界」であり、「三昧」「直接体験」「純粋経験」を意味しています。これに対し、私たちが錯覚している現実は、現実を意識作用によって対象化した「意識対象の世界」であり、「意識作用と意識対象が分離」した「静的抽象的部分の世界」です。

 

西行は、体験という現実の世界に居て、リアル(現実的)な歌を作っていますが、その他の多くの歌人は想像の世界に居て、バーチャルな歌を作っています。リアルであるということは感情の真実性・審美性・新規性・具体性・全体性等があり、共感を誘ったり、感銘を与えたりすることができます。因みに、恋に恋する青年の恋と大人の恋とは大いに相違しているものです。「事実(現実のものごと)は小説より奇なり」とは詩人であるバイロンの至言です。(つづく)