悟りの証明

残日録

理性の害悪(2)

理性(知)は「一般」や「普遍」を追求するところにその使命があります。知識は一般的に普遍的に規定されて始めて真の知識となります。また、理性が一般的・普遍的でなければならないということは、理性は「客観的」でなければならないということを意味しています。一方、感情と意志(情意)は「個物」を個物たらしめるところにその意義があります。個物は一般的に普遍的に規定されるものではなく、三昧(純粋経験)という意識の「場」において「知的直観」によって規定されます(これは一種の自己規定)。両者の特徴は、理性が現実を理想に従えようとし、理想のために現実を無視または軽視しようとするのに対し、感情と意志は理想を現実に従えようとします。従って、知と情意は本来逆のベクトルを持っていて、知・情・意の統一(人格的統一)は容易ではないということになります。国際社会はここに来てにわかに騒々しくなって来ましたが、その底流には、知と情意の相克、即ち、グローバルズムという一般化とナショナリズムという個物化の相克があり、近年の傾向はグローバリズムに対するナショナリズムの反撃と解釈することが出来ます。

 

グローバリズムナショナリズムには、経済と政治の二つの側面あり、両者は複雑に絡んでいます。

 

経済的なグローバリゼーションとナショナリズムは次のように整理することが出来ます。

 

<経済的グローバリゼーション>

1、新自由主義

2、市場原理主義

3、国際分業主義

4、グローバル資本主義

5、規制緩和

6、地球環境保護

<経済的ナショナリズム

1、自給自足主義

2、自国中心主義

3、保護貿易主義

4、計画経済

5、資源外交

6、規制強化

 

政治的なナショナリズムグローバリズムの概念規定は容易ではありませんが、可能な限り単純化すると次のようになります。

 

<政治的グローバリズム世界市民主義)>

1、国際社会における基本単位は個人(人権)である。

2、個人は世界に帰属する。

3、平和は世界の精神的、社会的、政治的統一によって達成される。

<政治的ナショナリズム主権国家主義)>

1、国際社会における基本単位は主権国家である。

2、個人は国家に帰属する。

3、平和は各国の主権を尊重することによって達成される。

 

経済的なグローバリズムナショナリズムはともかくとして、「理性」が絡んだ政治的グローバリズムは非常に危険なものとなります。例えば、「慰安婦問題」について考えてみると、日本側は単純な政治的ナショナリズムの立場に立っていますが、韓国側はグローバリズムを利用した政治的ナショナリズムの立場に立っています。つまり韓国側は慰安婦問題を主権国家を超えたグローバルな人権問題・人道問題と捉え、世界中の「理性」を生業とする知識人、ジャーナリスト、弁護士、人権団体、学生、経済人等を巻き込んで日本に対峙しているのです。また、韓国側は、「東京裁判」にまで遡って、日本は「侵略国家」であるという文脈の中に慰安婦問題を「人道に対する罪」と位置づけ、元連合国の支持を取り付けようとしています。「日韓基本条約」の解釈にしても、日本側は、ナショナリズム(主権国家)の立場に立って、韓国は慰安婦への戦後補償を含めたすべての請求権を放棄したと解釈していますが、韓国側は「日韓基本条約」は主権国家間の条約であって、人権問題は主権国家を超えたグローバルな問題であるとして、慰安婦補償は「日韓基本条約」には含まれないという立場です。また、釜山の日本総領事館前に新たに設置された慰安婦像が新たな火種となっていますが、もし釜山市東区議会が設置許可の議決をすれば、国と地方との対立と言うことになり、日本の「沖縄問題」と同じ構図になります。国が強引に問題を解決しようとすると、「民主主義」(人権)に反することになり、かといって、そのまま放置すると法治国家としての統治能力が問われることになります。さらに、日本側は、慰安婦像の撤去を求める理由として、外国公館の安寧と尊厳を守ることを定めたウィーン条約に違反しているとしていますが、韓国側(民間団体)としては、条約とは主権国家間の取り決めであって、「人権問題」は主権国家を超えたグローバルな問題であるとして抵抗を続けるものと思われます。

 

人権グローバリズムは「理性主義」「主知主義」に基づいており、「理性主義」「主知主義」は「客観主義」に基づいています。「理性主義」は経済人・政治家・官僚等の所謂エスタブリッシュメント、「理性」を生業とする知識人、ジャーナリスト、弁護士、人権団体、学生、等の所謂リベラルに支えられて世界を席巻してきましたが、ここに来て様子が変わってきました。ISのテロ、ロシアのクリミア侵攻、中国の膨張、ヨーロッパの難民問題、イギリスのEU離脱、フィリピンの反米、北朝鮮の核開発、極めつきはアメリカのトランプ政権誕生です。これら動きはすべてショナリズムのグローバリズムに対する反撃と解することが出来ます。

 

嘗てのルネサンスは神に虐げられた人間の復興すなわち「人間復興(文芸復興は誤訳)」でしたが、これからの世界の動きは理性の「客観主義」に虐げられて来た主観の復興すなわち「主観復興」「情意復興」と解することが出来ます。これからの私たちには二つの途があります、「反理性」か、それとも「超理性」か。