悟りの証明

仏教の一隻眼

悟りの証明(45)

倫理を求めた吉本は、結局、自らの思想にも宗教にもその窮極的な答えを得ることなく逝ってしまいました。吉本は思想による倫理の追求に限界を感じ、親鸞(宗教)にその望みを託しましたが、結局、親鸞を理解することなく世を去りました。しかし、この講演のような『造悪論』を吹聴する吉本に対し、マスコミは「戦後思想の巨人」などといって絶賛しました。要するに、日本の知識人やジャーナリズムはこの程度なのです。

 

倫理について、仏教は、2559年前に、すでに明確に答えを出しています。それは、

 

「倫理は、情意が欠落した<人知>、すなわち<主体なき理性(人知)>によっては決して解き明かすことは出来ない。それは、<思いやり><感情移入>が現成する<三昧>において、般若という高次の知と意志と感情とによって、すなわち<主体ある理性(般若)>によって始めて解き明かされる。悪は<人知>故に起き、<人知>は<関係知>であり相対的であが故に、常に二者択一を迫り、立場の相違を生み出して争いとなる。般若は相反する絶対的な矛盾を統一する<即非><絶対矛盾的自己同一>の知であり、感情と意志は<人知>を否定し、<信>を可能にする。般若と感情と意志のあるところ、すなわち<無知の知><感情移入><思いやり>あるところには必ず「慈悲>愛」がり、悪を寄せ付けない。倫理の核心は、悪の抑止ではなく善(慈悲)の促進である。」

 

仏教の倫理に対する思想は単純明確に『諸悪莫作 衆善奉行』に尽きています。

「諸悪は作為であるから作(な)してはならない、諸善は仏行であるから行じ奉れ」

 

(つづく)