悟りの証明

仏教の一隻眼

悟りの証明(18)

     覚者の立場

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梵・・・・・梵我一如・・・・・我

神・・・・・・仏・・・・・・・人

 

宇宙の原理である「ハタラキ」すなわち神が私たちの「ハタラキ」である「仏」と「神人同性」であるというのが「梵我一如」ということになります。この「ハタラキ」がどのような動きであるかということが問題になりますが、円周のない渦巻きのような動きである(鈴木大拙)というものや、統一と分化発展を繰り返す動きである(西田幾多郎)といったものがあります。

 

宇宙のハタラキは「神人同性」である私たち人間のハタラキとして「意識活動」ということになりますが、西田幾多郎の場合、直覚がハタラキの統一状態、意志や思惟がハタラキの分化発展の状態ということになり、統一は継起する分化発展となり、分化発展は継起する統一となり、ハタラキが継続発展して行くと考えられています。

 

例えば、思惟に於いては、私たちが文章を書く場合、先ず、最初に現れるものは統一された全体であり、これを直覚し、そして、その全体を主語として述語を分化発展させるということになります。そして述語が終わったところで再び統一された状態になります。

 

意志に於いては、欲求によって惹き起こされた意志は、統一された目的を設定し、その目的を達成すべく、選択肢の中から実現可能な手段を選び、決意し、実行します。統一された目的意識は決行から目的達成まで暗に働き続けて分化発展の過程となり、目的達成によって再び統一を得ることになります。

 

このようにして、大いなる宇宙のハタラキは私たち人間の意識の微細なハタラキと一本の線でつながっているというのが西田哲学の骨子となっています。「私たちの人生とは宇宙精神の実験である」という真意がここに窺うことが出来ます。(つづく)