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悟りの証明

仏教の一隻眼

悟りの証明(1)

神(宗教)は私たち人間の諸要請から生まれました。

 

  • 1、 生活の要請 天変地異を司る支配者は神である
  • 2、 秩序の要請 世界(自然、社会)の秩序の維持者は神である
  • 3、 生命の要請 永遠の命としての神と同化したい
  • 4、 論理の要請 因果律の要求から、世界(宇宙)の原因は神である

 

これらの神は何れも「外在の神」です。私たち人間によって考えられた神、感じられた神です。考え感じる私たちの外に立っている神、すなわち「意識の対象」としての「客観の神」です。これらの「客観の神」に対して、仏教の神、すなわち「仏」は考える神、感じる神です、すなわち「意識の作用」としての「主観の神」です。仏教の神すなわち「仏」は私たちに内在する「内在の神」なのです。

 

従って、仏教ではその原初において、意識の対象となる偶像、すなわち仏像は存在しませんでした、存在したのは、シンボルとしての仏足跡・菩提樹・法輪等でした。仏教は本来「偶像崇拝」ではなかたのです。仏教における「偶像崇拝」は、ある意味、仏教の堕落の始まりとも解されます。厳密な意味で、仏教においてはシンボルですらあってはならないのです、意識(認識・知識)の対象(意識された物事)すなわち客観を消し去った「絶対無」でなくてはならないのです。仏道とは知られた客観(界)を知るのではなく、知る主観(界)を知る(見る・体得する)ための修行(行=実践=体験)なのです。

 

普通、私たちの一生は実在の半面である客観界を知ることで終わりますが、仏教は主観界を明らかにし、さらに、主客の関係を明らかにしようとするものです。(つづく)