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悟りの証明

仏教の一隻眼

理性の害悪(5)

この世に悪魔というものが存在するとしたら、それはマルクス以外にはあり得ません。マルクスに洗脳された、あるいはマルクスの思想を利用した、スターリン、レーニン、毛沢東、ポル・ポト、金日成、その他の共産主義国の独裁者達は、共産主義社会の実現のため…

理性の害悪(4)

近代哲学の完成者と言われるヘーゲルの「理性」もまた、「全体主義」と「泡沫のような個人」という世界を描きました。ヘーゲルは「精神と自然」「心と物」というデカルト以来の二分された世界を「時間」すなわち「歴史」を導入することによって、人類の知の…

理性の害悪(3)

理性の害悪を知るにはヨーロッパの理性(哲学・思想)の歴史とその理性による惨劇を明らかにしなければなりません。ヨーロッパの理性主義・主知主義の源流を辿れば、古代哲学の完成者といわれるギリシアのアリストテレスに行き着きます。アリストテレスは私たち…

理性の害悪(2)

理性(知)は「一般」や「普遍」を追求するところにその使命があります。知識は一般的に普遍的に規定されて始めて真の知識となります。また、理性が一般的・普遍的でなければならないということは、理性は「客観的」でなければならないということを意味してい…

理性の害悪(1)

「理性的でなければならない、感情的であってはならない」というのが私たちの常識になっています。しかしこの常識こそ私たち人間を滅亡へとミスリードする落とし穴となります。 毛沢東 7,800万人、スターリン 2,300万人、ヒトラー 1,700万人、ポル・ポト 170…

悟りの証明(58)

嘗て「何故人を殺してはいけないのか?」という単刀直入の問に対して、大江健三郎や吉本隆明等の所謂知識人は、理窟を捏ね回しているだけで、明確な答えを出すことが出来ませんでした。実際の倫理的判断には時間的猶予はありません、即座に判断し行動しなけ…

悟りの証明(57)

「なぜ人を殺してはいけないの?」この問いは、1997年8月15日、 故筑紫哲也がキャスターを務めたテレビ番組『ニュース23』が企画・放映した「ぼくたちの戦争’97」という特集コーナーで、高校生たちが大人たちと討論する中、ある高校生がこの問いを投げかけ、…

悟りの証明(56)

安全保障、集団的自衛権、憲法改正、沖縄米軍基地、尖閣諸島、南シナ海、イスラム国、米大統領選、北朝鮮、慰安婦、原発、TPP、八重洲移転、オリンピック、その他諸々の事件・事故、これら一切の問題(イシュー)は最終的に「人格問題」「倫理問題」「善か悪…

悟りの証明(55)

西田幾多郎は仏教の「即非の論理」に基づいて「絶対矛盾的自己同一の論理」を「西洋の倫理」とは全く別の日本独自の論理として確立しようとしました。しかし、西田は『絶筆』において次のように述べています。 「抽象的論理の立場からは、具体的なるものは考えら…

悟りの証明(54)

先に述べたように、三島由紀夫の『文化防衛論』に次のような行があります。 「日本文化から、その静態のみを引き出して、動態を無視することは適切ではない。」 また、<動態>こそが日本文化の特色であるとする西田幾多郎は、『日本文化の問題』(1938年講…

悟りの証明(53)

常朝の<死の作法化><死の型化>はともかくとして、私たちが日々の生活を「作法化」し、<生活の型>をつくることは難しいことではありません。毎日何気なく習慣になっている行動を反省し、安全・安心・快適な生活という目的を設定して、その生活シーン毎…

悟りの証明(52)

山本常朝は自らの一生を<作法化>し、<生の型>をつくりました。未来に目的を持って生きるということは、その目的が現在の行動となるという<円環>を意味します。常朝は「死ぬ」ことを目的にすることで、自らの日常行動を「死ぬ行動」として、そこに<行…

悟りの証明(51)

「型」とは、ある目的を達成するための「行動の法則」「作の法」つまり「作法」であり、人間の行動でありながら人間の行動を超えた「自然のハタラキ」「自然の行動」、自然にして人為であるところから「自然即人為」「無作即作」「無作の作」ということにな…

悟りの証明(50)

日本文化を論じるとき、三島由紀夫の『文化防衛論』を看過することは出来ません。 「日本文化から、その静態のみを引き出して、動態を無視することは適切ではない。日本文化は、行動様式自体を芸術作品化する特殊な伝統を持っている。武道その他のマーシャル…

悟りの証明(48)

転載・拡散自由

悟りの証明(49)

オバマ大統領が来日して、広島で大演説を行い、「核廃絶・核不拡散」を訴えました。日本も国際社会も「核廃絶・核不拡散」は殆ど不可能(核保有国の自己欺瞞・自己矛盾・自己都合)と知りつつ、努力することには何ら異存はないということで、このパフォーマ…

悟りの証明(47)

倫理の悪の方面を深く掘り下げていくと、巨悪とは何かということになり、それは戦争以外にないということになります。 私たちは先の戦争に敗れ、自虐史観と自尊史観、左と右に国論を二分しながら不毛の「相殺議論」を70年もの長きにわたって継続し、未だに戦…

悟りの証明(46)

「なぜ人を殺してはいけないの?」 この問いは、1997年8月15日、故筑紫哲也がキャスターを務めたテレビ番組『ニュース23』が企画・放映した「ぼくたちの戦争’97」という特集コーナーで、高校生たちが大人たちと討論する中、ある高校生がこの問いを投げかけ、…

悟りの証明(45)

倫理を求めた吉本は、結局、自らの思想にも宗教にもその窮極的な答えを得ることなく逝ってしまいました。吉本は思想による倫理の追求に限界を感じ、親鸞(宗教)にその望みを託しましたが、結局、親鸞を理解することなく世を去りました。しかし、この講演の…

悟りの証明(44)

主知主義者である吉本は倫理というものを全く理解していません。この講演のような愚かな知を拡散すること自体が倫理に反する悪であることを認識していないのです。<真の倫理は倫理を否定する>ということ、<「人知」によって倫理を語ることが悪である>と…

悟りの証明(43)

吉本隆明の183講演(要検索)の一つ『親鸞の造悪論』に対して、批判を続けます。 「だから、現在の状況では、やっぱり、理念が存在することも、それから、宗教が存在することも認めなければならない。それは、迷妄な部分をもっていても認めなければならない…

悟りの証明(42)

吉本隆明の183講演(要検索)の一つ『親鸞の造悪論』に対して、批判を続けます。 吉本がこの講演において披瀝している内容は、吉本の「知識の対象界」であって、吉本によって知られた世界、吉本によって描かれた世界、すなわち吉本の「客観界」「色の世界」…

悟りの証明(41)

吉本隆明の183講演(要検索)の一つ『親鸞の造悪論』に対して、批判を続けます。 「それから、宗教思想の迷妄な部分は、かならず、理念的になっています。ようするに、なにかイデオロギーになって出てきてしまいます。つまり、それが、現在における、現実の…

悟りの証明(40)

吉本隆明の183講演(要検索)の一つ『親鸞の造悪論』に対して、批判を続けます。 「信仰の問題を、浄土真宗っていうのは最も最初に、一種の善悪の問題、つまり、倫理の問題に、一等最初に置き換えた宗派なわけです。つまり、仏教の僧侶の出家の修行っていう…

悟りの証明(39)

「悟らずして仏教を語ることなかれ」に反して、仏教を語った吉本隆明の「愚の思想」を分析してみることも一興であり、仏教を深く知る上でも意義あることと思います。 吉本隆明の183講演(要検索)というものがあり、その中に『親鸞の造悪論』があります。 「…

悟りの証明(38)

私たちの「普段の意識」「二次的意識」「人間意識」「人為の意識」に対して、「三昧の意識」「一次的意識」「仏の意識」「自然の意識」が対立します。仏教の要諦は、三昧の立場に立ち、三昧においてハタライテイル「自然(じねん)の意識」「無意識の意識」…

悟りの証明(37)

公案に『風性常住無處不周』(風性は常住にして処として周らざる無なし) というのがあります。これは宝徹禅師と一僧との問答に由来します。 宝徹禅師が暑気払いに扇を使っていると、ある僧がやって来て、 一僧「仏教では『風性常住無處不周』といっています…

悟りの証明(36)

大燈国師(鎌倉時代の禅僧)にまつわる有名な小話があります。 ある役人がまっか瓜(国師の好物)を渡そうとして、国師に向かって「無手で受け取れ」と言ったのに対して、国師は「無手で渡せ」と応じたと言うことです。この話は両者共に「覚者」ではないと成…

悟りの証明(35)

「山の中にいて山を見る(知る)」とは三昧(一次的意識)において三昧を見る(知る)ということで、「山を離れて山を見る(知る)」とは二次的意識において二次的意識を見る(知る)ということになります。三島由紀夫の絶妙の表現「主体なき客観性」とは、客観界…

悟りの証明(34)

宇宙のハタラキ(力・エネルギー)は人間のハタラキ(生命力・精神力)として降臨(神人同性)するだけではなく、一切の物に降臨(神物同性)し、八百万の神々を現成させ、この宇宙・この世界を「ハタラキの世界」「生命の世界」に転じます。所謂自然は無意味な物…

悟りの証明(33)

「一即多」すなわち宇宙のハタラキ(一)は私たちのハタラキ(多)として降臨してきます。西田幾多郎はこれを「私たちの人生とは宇宙精神を実験することである」と実感を込めて述べています。この宇宙精神とは宇宙のハタラキを意味しています、ハタラカない精神…

悟りの証明(32)

宇宙のハタラキは人間のハタラキ、すなわち神のハタラキは人のハタラキとして「神人同性」というのが神道であり仏教です。嘗て、日本人であれば生きとし生けるものにはすべて神が宿ると無意識に意識するのが普通でしたが、欧米思想のコピペを専業とする知識人…

悟りの証明(31)

仏教の教説は悟りを得ずして理解することは出来ません。悟りは三昧・一次的意識において般若・直覚・直観によって自覚されるハタラキです。三昧は主客未分の意識状態で、意識の内容(未だ意識対象にはなっていない)のみが現前している状態で、意識作用が意…

悟りの証明(30)

悟りの証明(29)

我と無我、いずれが「本当の我」・「真我」でしょうか? 答えはいずれでもありません。上来述べてきたように、我とは「ハタラキ」のことです。誤解してはいけないのは、我がハタラキを持っていて、我がそのハタラキを使うのではありません、「ハタラキが我」な…

悟りの証明(28)

「悟る」ことを「見性」と言いますが、「見性」の「見」は、広義では「知る」ということですが、ここでは「直覚・直観・般若によって知る」という意味です。「性」は私たち人間の「本性」すなわち「仏性」を意味しています。従って、「見性」とは「私たち人間の本性で…

悟りの証明(27)

仏教ではこの宇宙の原理をハタラキ(動き、活動、力、エネルギー等)と見なし(「諸行無常」)、このハタラキはあらゆるものに遍在し、私たち人間においては意識のハタラキすなわち意識作用として顕現します。この事実は、私たちの普段の意識(二次的意識)…

悟りの証明(26)

「仏教」は窮極の自己実現である「悟り」を目的とする宗教哲学です。悟りは「経験を超えた特殊な体験」です。悟りは、理論理性の追求の果に、突破できないアポリアの状態に彷徨していて、「何ものか」を契機に「ふと」アポリアを突破する体験です。悟りは、…

悟りの証明(25)

我と非我は対立するものではありません。我は我、非我は非我でありながら、そこには対立はないのです。我と非我の関係は、我=自と置き換え、非我=他と置き換えてみると、「自即他・他即自」ということになります。「即」には「転じる」「回互する」という…

悟りの証明(24)

所謂リベラルという人種は、欧米に対する劣等感と憧憬を持ち、日本を学ぶことなく、欧米思想を未消化のまま輸入し、「コピペ思想」を吹聴する特殊な「主知主義者」です。朝日新聞は「日本を相対化する」等と傲慢な主張をしていますが、日本(江戸時代以前)…

悟りの証明(23)

私たちは「三昧」という意識の状態から離れることは出来ません。私たちは、実のところ、終日、三昧を生きています。三昧には座禅のように数十分の純粋で深いものから一瞬のものまで、意識の深浅があり、時間的な長短があります。 「三昧」には必ず「人格移入…

悟りの証明(22)

私たちが、一般に、現実の世界と思い込んでいる世界は、既に知(思惟)によって構成された静的・抽象的・部分的世界、物の世界、「存在・ザイン」の世界です。私たちが現実と思い込んでいる世界は、主観の裏付けのない抽象的な客観が浮遊し充満した、「知の…

悟りの証明(21)

カントは、道徳とは「汝〜すべし」という「定言命法」に従うことだといいましたが、一体、この「定言命法(絶対命令)」なるものが何処から出てくるのでしょうか、「彼方からの声」や「良心の声」といったところで、何の答えにもなっていません。 仏教におけ…

悟りの証明(20)

「この世」の一般的な道徳と仏教の倫理とは根本的に相違しています。 親鸞の「悪人正機説」によれば、「善人なおもて往生をとぐ,いはんや悪人をや」ということになっています。「善人さえも往生出来るのだから、悪人が往生出来ない筈はない」とは逆説にも解…

悟りの証明(19)

上述のように、仏教(悟り)を明らかにする為には、何よりも「三昧」を明確にしなければなりません。その為には、仏道修行の最終段階である「定」と「慧」を明らかにしなければなりません。 先にも述べたように、「定」とは心の最も安定した統一状態であり、…

悟りの証明(18)

覚者の立場 ▼ 梵・・・・・梵我一如・・・・・我 神・・・・・・仏・・・・・・・人 宇宙の原理である「ハタラキ」すなわち神が私たちの「ハタラキ」である「仏」と「神人同性」であるというのが「梵我一如」ということになります。この「ハタラキ」がどのよ…

悟りの証明(17)

仏教では、三昧のことを「定」あるいは「正定」ともいいます。仏道修行とは三学(戒・定・慧)、あるいは六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧=般若)を修することですが、修行の核心は定=正定=禅定と慧=智慧=般若にあり、定と慧は一等(定慧…

悟りの証明(16)

覚者の立場 ▼ 無我・・・・・ハタラキ 無我・・・・・無我即我・・・・・我 一・・・・・・一即多・・・・・・多 梵・・・・・・梵我一如・・・・・我 仏教を理解するためのポイント、悟りを得るための要諦は「意識の現場」「純粋経験」「現在意識」「純粋意…

悟りの証明(15)

以下、悟りの証明(14)のチャートの各項目について詳述します。 覚者の立場 ▼ 無我・・・・・・無我即我・・・・・・我 即非 絶対矛盾的自己同一 「無我」と「我」との関係は「無我即我」すなわち「無我にして我」ということになり、「即非の論理」(鈴木大…

悟りの証明(14)

上来をまとめてみると、次のようになります。 (覚者の立場) ▼ 無我・・・・・・ハタラキ 主観・・・・・・主客未分・・・・・・客観 作用・・・・・・無作の作・・・・・・対象 無我・・・・・・無我即我・・・・・・我 一・・・・・・・一即多・・・・・…