悟りの証明

残日録

悟りの証明(54)

            

先に述べたように、三島由紀夫の『文化防衛論』に次のような行があります。

 

「日本文化から、その静態のみを引き出して、動態を無視することは適切ではない。」

 

また、<動態>こそが日本文化の特色であるとする西田幾多郎は、『日本文化の問題』(1938年講演 於京都大学)において、

 

「日本文化はこれまで時間的であったが、これからは民族の歴史・伝統を背景にして空間的となり、世界に向かって行かねばならない。(中略)伝統とは現在を中心として過去と未来とが同時存在になることである。すなわち現在に於いて過去が空間的に映され動いていくことである。」

 

日本文化と西洋文化の抜本的相違は、日本文化が実践的(プラクシス)文化であるのに対して、西洋文化は観照的(テオリア)文化であると言うことが出来ます。

 

           (日本文化)     (西洋文化)

            実践的        観照的

            時間的        空間的

            動的         静的

            線的         面的

            情意的        知的

            主観的        客観的

            無形         有形

 

西田幾多郎の思想の根幹(原理)は「絶対矛盾的自己同一」にあり、それは仏教の「即非の論理」(既述)に由来しています。西田は約十年間国泰寺の雪門禅師に参禅し、「自覚」すなわち悟りを得て、「即非」を体得しました。「即非の論理」は、西洋の論理すなわちアリストテレスの主語的論理、カントの超越的論理、ヘーゲル弁証法的論理等のロゴスで実在を突き止めようとするのではなく、実践(行動)によって実在を明らかにしようとするものです。「即非の論理」は自己の立場を「考える自己」から「行動する自己」へ、三島由紀夫の表現では「主体なき理性」から「主体ある理性」へシフトすることを要求します。例えば、山という実在を知るには二つの方法があります。一つは鳥のように山を離れて山を俯瞰する方法であり、もう一つは山の中に居て山を駆け巡る方法です。前者は傍観であり後者は自観です。真の実在すなわち「動的・具体的・全体」は「自観」によって把握されるものですが、しかし問題は、「自観」だけでは実在は時と共に流れ去り、後に何も残らないと言うことになります。先に述べた「型」は、行動という時間的なものを「空間化」「同時存在化」して同じ行動を繰り返すことが出来るようにして後続に伝え残すことや、型を踏み台にして更に高度な型を追求することや、その型のバリエーションを展開することを可能にするものです。いずれにしても、行動という時間的で無形なものを空間的な有形なものに変換しない限り文化として定着することはあり得ません。

 

文化はまさに歴史的に累積してきた「絶対矛盾的自己同一」の現れそのものです。文化は客観的なものと主観的なもの、時間的なものと空間的なもの、といた絶対に矛盾するものの統一として私たちを包んでいます。日本文化は日本人の「作品」なのです。「作品」自体は客観的なものですが、作品には制作者の主観が込められています、主観と客観は矛楯するものですが、作品は主観と客観を統一したものとして存在します。日本文化は日本人の<主客合一態>として私たちを包んでいて、私たちはその中に生まれ・働き・死んでいきます。

 

私がこの拙いブログを書くということは、私がただ考えるだけなら私の主観に止まり、時間と共に流れ去るところを、私が書くという行動によって、思惟の流れとしての思想は文章となって固定され空間化されて客観的なものとなります。そして、このブログの読者は、ブログを読むことで、客観的(このブログは読者にとって客観的)なものを主観化する(理解する)と言うことになります。

 

西田幾多郎には「場の理論」というものがあります。「場の理論」の「場」とは、媒体の意味があり、「絶対に矛楯するものを統一するもの」と考えられています。例えば、物体は空間に於いてあるものなので、この場合空間が「場」と言うことになります。つまり「場」は「絶対矛盾的自己同一」の「自己同一」を可能にするものと考えられています。私たち個々人は誰でも自分のことを「独立の存在」(個物)と考えています、私たちは一人で生まれ一人で死んでいくのです。真に独立のものは、ライプニッツモナドのように、互いに直接的に関係することは出来ません。我(私)と汝とは決して直接的には関係することが出来ません、我は汝ではなく、汝は我ではないのです、互いに対立・矛楯するものです。しかし、このような私たちを繋いで一つにするものは何か、それが「主客合一態」としての「文化」という「場」なのです。(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

悟りの証明(53)

常朝の<死の作法化><死の型化>はともかくとして、私たちが日々の生活を「作法化」し、<生活の型>をつくることは難しいことではありません。毎日何気なく習慣になっている行動を反省し、安全・安心・快適な生活という目的を設定して、その生活シーン毎に、理にかなった行動(失敗がなく、無駄がなく、手早く、確実に、目的を達成できる行動)に置き換えていくのです。例えば、起床シーンでは、部屋の空気が淀んだままにしないように窓の両端を開けて風通しを良くし、深呼吸をし、晴天であれば寝具を天日に干し、雨天であれば敷き布団はそのままにして、掛け布団は足下にたたんで置き、敷き布団からの湿気を発散させ、シーツは洗濯機に入れる。洗面シーンでは歯磨きを先、洗顔を後にし、歯磨きは上の歯から下の歯へ、というように一々の行動を、失敗なく、無駄がなく、手早く、確実に目的を達成できる行動に置き換えていきます。その行動が最も合理的な行動であると確信したら、その行動が無意識の行動(無作の作)になるまで繰り返して、習慣化し、<型化>出来たら、それが<自らの作法>となります。

 

私たちが目的を達成する行動に専念するとき、多くの場合、道具を必要とします。道具は私たちの行動を確実にするもので、手足の延長とも考えられます。ある特定の行動にはある特定の道具が必要です。例えば、歯磨きの後に口内を洗浄するために水を入れる器が必要ですが、柄のある器よりも柄のない器(コップ)が適しています。柄のある器は柄の向きを探して握らなければ成りませんが、柄のないコップは直ぐに掴むことが出来ますし場所もとりません。包丁は切る対象により、切り方によってその形状が変わってきます。このように行動を決めるということは道具を決めるということに繋がります。従って、日常の<作法化>には、インテリア、家具、道具の選定が不可欠になります。さらにこれらの道具は所定の位置(使い勝手の良い位置)に整然と配置する必要があります。

 

僧侶の仏道修行といっても、何も特別なことをやっているのではありません。上記のように、日々の行住坐臥を<作法化>して、無我の行動、無意識の行動、無作の作とすることで、我を滅した「実践」に没入し、仏を実現しているのです。仏とは<存在>ではなく法則としての行為>であり<当為>なのです。尤も、今の僧侶にそのような認識があるかどうか疑問ですが。(つづく)

悟りの証明(52)

山本常朝は自らの一生を<作法化>し、<生の型>をつくりました。未来に目的を持って生きるということは、その目的が現在の行動となるという<円環>を意味します。常朝は「死ぬ」ことを目的にすることで、自らの日常行動を「死ぬ行動」として、そこに<行動の法則>を見いだそうとしました。そうすることで、生死は紙一重となり、善悪も紙一重となります。表には生と善、裏には死と悪、切り離すことの出来ない表裏を持った一枚の生活が、刻々と続くことになります。武士道の根柢には、死に臨んで「後れをとらない」という姿勢があります。刻々の「生死一如」を生きる者にとって「後れをとる」などということはあり得ないということになります。

 

「裏を見せ表を見せて散る紅葉」 良寛曹洞宗の僧侶)

 

(つづく)

悟りの証明(51)

「型」とは、ある目的を達成するための「行動の法則」「作の法」つまり「作法」であり、人間の行動でありながら人間の行動を超えた「自然のハタラキ」「自然の行動」、自然にして人為であるところから「自然即人為」「無作即作」「無作の作」ということになります。

 

茶道を例に挙げると、茶道にも「型」があります。茶は、本来、禅僧の飲料として栄西禅師によって輸入され、広く喫茶の習慣が根付きました。日常生活を「作法化」することによって「行」とする(例えば『永平清規』)という動きのなかで喫茶も「作法化」されていきました。やがて、この喫茶の作法は東山時代の一休宗純を師とした村田珠光、桃山時代の紹鷗を経て、利休によって大成されました。茶会(客を招いて茶を供する集会)の目的は、しばらくこの俗世から離れて「仏の一期一会」を体験することにあります。茶を点てて飲むというただそれだけの行動は、師匠の「型」を範として反復行動することによって何時しか我が抜け落ち「骨」を得て、作為の行動から自然の行動へと移り、無意識の行動、無我の行為、仏の行為となります。

 

作法に則った行動はただ目的を確実に達成するという意義だけではなく、「なすべき行為」すなわち「当為」となり「倫理」となっていきます。そして更に、作法に則った行動は、わざとらしさがなく、自然であり、誰が見ても美であるところから「芸術」へと発展していきます。三島の「日本文化は、行動様式自体を芸術作品化する特殊な伝統を持っている」ということになります。

 

利休は、茶道の奥義は何かと問われて、言下に「ただ茶を飲むだけである」と答えたと言われています。茶を飲むという行動が作法となるとき、我は抜け落ち無我の行動となり、自動的(オートマテック)な行動となり、三昧の境に入ります。「三昧境」では「行動することが知ること」であるという「行即知・知即行」が現成します。三昧境には「一次的意識のハタラキ」だけがあり、「二次的意識(人間意識)」の介入はありません。

 

皇国派であった三島由紀夫は「型」について、儒教から生まれた朱子学の「先知後行」を排して、朱子学から派生した「陽明学」の「知行合一説」に依って説明しょうとしましたが、これには少々無理があります。「武士道とは死ぬこととみつけたり」と言う至言で有名な山本常朝は、当時、主流となっていた儒教的(陽明学的)武士道を「上方のつけあがりたる武士道」として厳しく批判し、「行動しているときには死ぐるい(無我夢中)」、つまり「三昧の行動」でなければならないと主張しました。

 

「武士道とは死ぬこととみつけたり」という至言の真意は、行動の目的を「死ぬこと」に設定することで、常朝は自らの人生そのものを「作法化」したのです。茶会の作法はせいぜい数時間ですが、常長の作法は一生なのです。死ぬという目的を設定するということは、単に行動の終わりを設定するということではなく、その設定の瞬間から死への行動が始まるということを意味しています。終わりは始まりであり、始まりは終わりであるという「円環」となるのです。斯くして、死ぬ準備は常に整っていることになり、時と場所を得たら、決して「後れをとらない」覚悟をもって生きることになります。常朝は赤穂事件についても辛辣な批判をしています。その批判の内容は、赤穂藩士たちは何故、内匠頭の切腹直後に上野介を討たなかったのか、上野介が病死したらどうする。藩士たちは何故、上野介を討った直後に切腹しなかったのか、何を待っていたのか、待つは未練ではないのか。いずれにせよ藩士たちは「後れをとった」のだ、というものです。  

 

常朝は、結局、主君の厳命で「追い腹」を許されず、隠居の身となり、次の絶美の一句を残して一生を終えます。

 

「浮き世から何里あろうか山桜」

 

日本の文化は、三島が指摘しているように、行動から、なすべき行為としての当為となり、当為は倫理に発展し、倫理は美(芸術)となる、というところにその特色があります。自然の法は人間に降臨して「作法」となり「型」を生みます。そして、この「作法」は「型」を通して「慣習法」となり、日本人の無意識の行動様式として伝承されていきます。(つづく)

悟りの証明(50)

日本文化を論じるとき、三島由紀夫の『文化防衛論』を看過することは出来ません。

「日本文化から、その静態のみを引き出して、動態を無視することは適切ではない。日本文化は、行動様式自体を芸術作品化する特殊な伝統を持っている。武道その他のマーシャル・アートが茶道や華道の、短い時間のあいだ生起し継続し消失する作品形態と同様のジャンルに属していることは日本の特色である。武士道は、このような、倫理の美化、あるいは美の倫理化の体系であり、生活と芸術の一致である。能や歌舞伎に発する芸能の型の重視は、伝承のための手がかりをはじめから用意しているが、その手がかり自体が、自由な創造主体を刺激するフォルムなのである。フォルムがフォルムを呼び、フォルムがたえず自由を喚起するのが、日本の芸能の特色であり、一見もっとも自由なジャンルの如く見える近代小説においても、自然主義以来、そのときどきの、小説的フォルムの形成に払われた努力は、無意識ながら、思想形成に払われた努力に数倍している。」(『文化防衛論』P43)

 

文化には有形文化と無形文化とがありますが、日本の文化は無形文化すなわち行為・行動・動作・技術そのものを芸術化する、「物」よりも「事」を芸術作品化します。日本は「技術大国」であると自認する根拠もここにあります。造られた物よりも造る課程、存在(ザイン=あるもの)よりも行為、そしてその行為はやがて「当為(ゾルレン=あるべきもの)」へと発展し「倫理」となる、というのが三島の深い洞察です。

 

仏教は、「教」から「道」すなわち「行・実践・行為」へと修行の重心を移していきます(『正法眼蔵』・「現世公案の巻」)、すなわち「教行証」として、仏典の教から、行・三昧を学び、無我の実践・無我の行為によって仏を証する実践の生活となります。この仏教の「仏道=道」は、「無我の実践」「無我の行動」として、700年間、武士の時代の「生の根底」を支える「当為」であり、倫理でした。「仏道」は「武士道」を支え「武道」の発展を促したばかりではなく、あらゆる芸能、生活全般に浸透し、日常を「道化」しました。

 

私たちは誰でも、私たちが存在し、その存在としての私たちが意識を持って意識的に行動していると思っています、すなわち「二次的意識」のみで生活していると思い込んでいます。しかし事実は、「一次的意識」と「二次的意識」とは交互に働くもので、「一次的意識」の反省によって「二次的意識」が継起します。仏教は、三昧すなわち「一次的意識」を宇宙(自然)のハタラキの人間への降臨とみなして、これを「仏性」と呼び、この仏性を活用(使然)するところにその本旨があります。我もなく意識もせずに自ずとハタラク(自然にハタラク)こと、「無意識の意識」「無作の作」で行動することを「仏行」「行」としているのです。私たちは目的を達成するために行動します。目的を確実に達成するための行動は、目的に反れることなく、無駄がなく、効果的で、理にかなったものでなくてはなりません。行動が理にかなうとは、行動が「合理的」であるということであり、行動が「必然的」であるということであり、行動が人為的ではなく、意識的ではなく、自然の法に則っていること、すなわち行動が法則であることを意味します。行動の法則すなわち「作の法」つまり「作法」の意味がここにあります。「作法」とは「三昧」「一次的意識」において自ずとハタラク「無作の作」なのです。

 

三島の上記「フォルム」は、「行動の型」「動きの型」を意味しています。「フォルム」は仏語で、英語では「フォーム」ですが、「投球フォーム」とか「バッテイング・フォーム」という場合の「フォーム」を意味します。「作法」には「フォルム」すなわち「行動の型」、略して「型」というものがあります。武道はもとより伝統芸能には必ず「型」というものがります。「型」には、諸道諸芸の創始者や先駆者が長年の鍛錬によって体得した「作法」としての行動の模範という意味があります。(つづく)

悟りの証明(49)

オバマ大統領が来日して、広島で大演説を行い、「核廃絶・核不拡散」を訴えました。日本も国際社会も「核廃絶・核不拡散」は殆ど不可能(核保有国の自己欺瞞・自己矛盾・自己都合)と知りつつ、努力することには何ら異存はないということで、このパフォーマンスを概ね歓迎したようです。

 

このイベントを批判し騒ぎ立てる必要はありません。しかし、果たして、ただ「歓迎」だけで終わっていいのでしょうか。「敗戦国だから」「侵略国だから」と思い込んで、ただ俯いてこのイベントを甘受するだけでいいのでしょうか。もしも、私たちに、私たちの先祖や子孫を思いやる心があり、先の大戦の反省を踏まえて、少しでも国際社会に貢献するという毅然とした強い意志があるならば、これを機に、肝に銘じておかなければならないことがあります。それは、私たちが国際社会に『喧嘩両成敗』という倫理の法を「啓蒙」しなければならないという使命です。

 

アメリカの世論は、オバマ大統領の核廃絶演説を目的とした広島訪問自体には反対しないが、「謝罪」はしないというものでした。私たち日本人は、中国や韓国のように謝罪を要求しません。なぜならば、謝罪は要求するものではなく、当事者が真に謝罪の心があるかどうかが問題だからです。私たちがなすべき事は、アメリカ人が進んで心の底から謝罪できるように『喧嘩両成敗』法をもって啓蒙し、民度を上げてやることです。

 

アメリカ人は、先の戦争は自衛戦争で正しかった(正戦論)、日本は宣戦布告なしに真珠湾を先制攻撃し、アメリカを侵略した。対して、日本も、兵糧攻めにあっていたので自衛戦争であった、宣戦布告をしたが不手際があり間に合わなかった、などと互いに主張して、静かな反目が未だに続いています。しかし、このような両者の「理非主張」は『喧嘩両成敗』法の下では一切許されません。この法の下では、「侵略という概念は定まっていない」のではなく、侵略などという概念そのものが存在しないのです。攻撃に対して応戦した以上、それは戦争以外の何ものでもないのです。

 

「喧嘩両成敗」は単に喧嘩だけを禁じているのではありません、喧嘩の原因となる「口論」をも禁じているのです。赤穂事件(元禄14年・1701年)は、吉良上野介が朝廷との年賀儀式儀礼を伝授する要職にありながら、浅野内匠頭に適切な指導をしなかったことによって儀式儀礼の進行に齟齬をきたしたことに端を発しています。当時の幕府は、「殿中狼藉」の廉で、内匠頭だけに切腹を命じましたが、江戸庶民は「無分別の分別」「素朴な平衡感覚」で、その措置に納得しませんでした。当時の庶民達は、殿中狼藉は「喧嘩」ではないが「口論」が原因であったことに違いない、「殿中狼藉」という罪状は時の幕府が勝手に決めたことであり、『喧嘩両成敗』は天下の法である筈だ、なぜ吉良上野介にも罰を与えないのか、「片落ち(片成敗)」ではないのか、ということで赤穂藩士に同情したのです。元禄の庶民は、言論(口論)は時には暴力以上にたちが悪いということを「無分別の分別」として体得していたのです。

 

日本は、「東京裁判」において、連合国の「自力救済」と「勝てば官軍」という論理をもって、<事後法>である「平和に対する罪」「戦争犯罪」「人道に対する罪」という三つの罪で裁かれ、「侵略国」という汚名を着せられ、未だに中国や韓国のプロパガンダに悩まされています。一方、アメリカ合衆国 、イギリス、ソビエト連邦中華民国、フランス等の連合国は、罪を問われることすらなく、謝罪することなく、一切の賠償もなく、「片落ち(片成敗)」を当然のこととしてきました。戦後70年、連合国は相変わらずの「自力救済」と「勝てば官軍」の論理で、50件以上の戦争・紛争・内戦に関与し、「自国の利益」のために、他国を蹂躙してきたのです。戦後の日本は、自国はもとより国際社会のために、一体何をしてきたのでしょうか。日米安保反対運動やベトナム反戦運動はありましたが、それらは何れも共産主義という借り物のファッション思想をもって、アメリカ資本主義と対立したに過ぎず、日本にとっては何らの必然性もありませんでした。日本の戦後70年、一度たりとも『喧嘩両成敗』という倫理の法を掲げた「必然的な運動」はありませんでした。

 

『喧嘩両成敗』法は「連座制」を謳っています。日本への原爆投下はアメリカだけの責任ではありません、その他の連合国も連帯して責任を負わなければなりません。

連合国は、テロに悩まされ、怯えています。それは、「半落ち(片成敗)」を繰り返してきた必然の報いとしか言いようがありません。

 

アメリカの自国中心主義、中国の膨張主義、ロシアのナショナリズム北朝鮮核武装、ヨーロッパの難民問題、EUの不安定性、ISのテロ等々、国際社会は明らかに不安定な方向に向かっています。このような国際情勢の中にあって、『喧嘩両成敗』という倫理の法が日本を支えてくれる筈ですし、『喧嘩両成敗』をもって国際社会を「啓蒙」することが日本の使命なのです。

 

(つづく)